VTuberになって男と女を行ったり来たりしてみた話

こんにちは、ふじもnです。

 前回はかなり間が空いてしまったのでちょいと反省。こまめな投稿を目指します。

 

 今回のタイトル、何だかラノベみたいですね。笑

まあ、それはさておき。タイトル通り、私、密かについ数週間ほど前から

VTuberになって男性と女性を行ったり来たりしてみました(迫真)。

 

特定を避けるため、具体的な名前やアプリ名は控えさせていただきますが、

要するに男性アバターと女性アバターを作ってそれぞれで配信をしてみたという実験です。

※あくまで一個人の勝手な趣味によるもので、以下も一個人の感想にすぎません。そのためこの実験結果も独断と偏見に満ち溢れています。悪しからずご了承ください。

 

実験の条件

  • 配信日時はそれぞれ日曜日の18時〜20時に統一。 
  • 話すときは標準語(テンションが上がって方言が出てしまったこともあったが)。
  • 配信の内容は雑談と呼ばれるフリートーク

 タイトル、その他詳細な設定まで全て男女共通。

  • どちらのアバターも私の理想の体型や声、顔、服装に近づけた。
  • 特別にキャラクターは作らず、受け答えは全て私が思っていることや、私の実体験を元に話す。

 (例えばアバターに合わせて俺様風に話してみたり、幼く話したり、という演技はしていない)

 

実験の結果 〜男性アバターの場合〜

  • 見ている人が色々な角度からたくさん褒めてくれる。
  • 特に顔の雰囲気と声、目元に関する褒め言葉が多い。
  • 褒め言葉の割合

 かっこいい・・・約4割

 分かる、それな等の同意・共感・・・約3割

 物知り、頭が良い・・・約2割

 その他・・・約1割

  • 話は日常のあるあるネタになっていき、自分のことを話す機会は少なかった。
  • 言い間違いや言葉を噛んだときの反応は 「○○てwww」が多く、その後もイジってもらえることが多かった。
  • 見に来てくれたアバターの男女比は3:7くらい。
  • 次回配信のリクエストには弾き語りなどの歌の企画や雑談が寄せられた。

 

実験の結果 〜女性アバターの場合〜

  • 見ている人が色々な角度からたくさん褒めてくれる(男性同様)。
  • 特に声、目の色と大きさ、胸の大きさに関する褒め言葉が多い。
  • 褒め言葉の割合

 かわいい・・・約3割

 美しい・きれい・・・約3割

 分かる、それな等の同意・共感・・・約2割

 よく分かったね・・・約1割

 その他・・・約1割

  • 話は自分の趣味や好き嫌い、最近の出来事等、プライベートなことを話す機会が多かった。
  • 言い間違いや言葉を噛んだときの反応は「可愛いw」が多く、「○○って言ってみて」 と、類似する噛みやすい言葉のリクエストが寄せられた。
  • 見に来てくれたアバターの男女比は4:6くらい。
  • 次回配信のリクエストには雑談とゲーム実況が寄せられた。

 

実験の考察

  • VTuber全体として女性アバターが多い印象だったので見に来てくれたアバターの男女比はあまり意味のない数字かもしれない。
  • 男性に比べて女性を称賛する言葉の種類やジャンルの方が多いのではないか?
  • 少なくともこの配信を見ている人はアバターの性別を気にせず、お互いに1人の人間同士として接している感覚だと思った。そのため、現実の男女の性差にまつわる問題(会社での出世や求められる「男らしさ」「女らしさ」の概念)を難しくしている原因には、少なからず生物学的な性差も考えられる。しかし、生物学的な性差を越境することは現実ではまだ難しい問題であると思われる。
  • 一方で男女のアバター間でよく見られ、求められている外見の部分や話の内容は微妙に異なっていることから、社会的な性(ジェンダー)による差はVTuberにおいても少しは存在していると考えられる。
  • 自分にとっての異性が普段どんな目で見られているのか、どんな扱いをされるのかを実際に経験できる。言われて嬉しい言葉から、言われるとゾッとする・気分が悪いと感じる言葉までを知ることができる。そのためハラスメント問題(特にセクハラ、マタハラ、パタハラ)において、ハラスメントをしているという自覚なく問題となる発言をしてしまうケースや、ハラスメントを執拗に繰り返してくるケースに有効かと思われる。

 

  • 何だかんだ、男でも女でも褒められるとめちゃくちゃ嬉しい。天にも上る気持ちになる。
  • 特に自分がこだわったところや、自分の頑張りを褒めてもらえると相手のことを姿も見えないのに好きになっちゃう。
  • 共感を得られると悩んでいる・考えているのは自分だけじゃないのかと大きく安心する。

 

おわりに

 さてさてこんな結果・考察になりました。

褒められると嬉しい、共感してもらえると安心する……当たり前のことですね。笑

ただ、誰かを褒めたり、誰かに共感したりする言葉って面と向かって言うとなると途端に難しく感じる言葉じゃないでしょうか?

 つい照れ臭かったり、嫉妬して認めたくなかったりして言えなかったり、ぶっきらぼうになっちゃったり…… 生身の人間として生きるのって大変ですね。笑

 

 皆さん、よく生きてますよ!生きててエラい!!(拍手)

 

 これを機に、周りの人のことも自分のことも、素直に褒めたり認めたり共感したりしていきたいですね。少なくとも自分の周りは優しい世界にしたいな。

 

教育を俯瞰する その2ー学校に行く意味 part2

こんにちは。ふじもnです。

 

 今回は宣言通り、前回の続きです。

 

前回記事https://edumaps.hatenablog.com/entry/2020/02/25/165429

 

私たちは何故、学校へ行くのか?

目次

3.自分の得意・苦手、好き・嫌いを見極めるため

4.学校に行かない場合のメリット・デメリットを考えた結果

5.何となく、みんな行くから

 

3.自分の得意・苦手、好き・嫌いを見極めるため

 

 こちらは前回の2.と関連しています。

 生活する中で、自分がどう頑張っても上手くできないことが出てきたり、逆に自分にとって当たり前にできることが実はすごい才能だったり、

「自分」という人間に関してたくさんの発見をしていきます。

 また偶然、同じ学校に巡り合わせた人々とともに過ごす中で性格的にとても馬が合う人、少し苦手だと思う人、趣味が合う人、自分と全く違う嗜好の人……他の人が持つ様々な個性や価値観に触れます。

それぞれの個性的な人々に対して、自分はどのような距離感で接し、集団の中でどのようなポジションでありたいか(リーダー的存在やまとめ役、みんなのお母さんのような存在といった他人からの評価のこと)……。

 

 このように自分という存在を知って、確立させるために学校に行くという考え方です。

 

 この考え方に沿うならば、学校とは様々な経験ができて、様々な価値観に触れる場所を目指すべきだということになります。さらに飛躍すると、学校とは挑戦し、失敗できる場所であるべきだと言えます。一方で学校の中でできることは限られていることも確かです。例えば公立学校ならば学習指導要領から大それた活動や内容をやってみることは難しいです。

 ということは、子どもはただ学校内だけでは学びが不十分になりがちであり、家庭や学校外の機関等での学びの機会と連携・拡充していくことが求められると言えます(この辺りは複数の教育書や教育関係の論説文などでも主張されていますね)。

 

4.学校に行かない場合のメリット・デメリットを考えた結果

 

 これは逆転の発想で私たちが学校へ行かない理由を皆で考えたときに出てきた意見です。

学校に行きたくても行けない、ではなく、敢えて学校に行かないという選択をする子どもや保護者もいるはずです(例えば昨今話題のゆたぼんくんや中学・高校生ながらに起業した方々など)。

 言い換えれば学校に行くことや学校で学べること・経験できることと、学校外で学べること・経験できることをそれぞれ比較して、自分の人生に適した方を選択した結果、たまたま学校という場所に行かなかった、もしくは学校に行くことを選んだという考え方です。

 

 こちらは一見子どもがかなり主体的に自分の生き方・在り方を選択・決定していて、実際にそれらを叶えて満足感を得ることができているならば理想的な人生の歩み方だと、私は思います。

「自分の人生は自分で決めて、自分のやりたいようにやる」という生き方は非常に魅力的で他の動物では成し得ないクリエイティブな活動に溢れていると同時に、私たちは日々の雑務やしがらみに囚われてなかなかそうすることができない非常に難しい生き方だと考えているからです。

 

 しかし、この考え方にも留意点が2つあります。

 1つ目は子どもの選択や決定にどこまで自主性を求めるか、です。これはその子ども自身にしか分からない、もしくはその子どもにも分からないことかもしれません。

 つまり、学校に行かないという選択を自分から望んでしたのか、あるいは周囲の期待に応えるためや親への恐怖心から本当は学校に行きたいという気持ちを抑制して、学校に行かない選択をしたのか、

上記のように子ども自身の本心によって学校に行かないという選択の意味が変わってくると言えます。

 もし後者の場合ならばその後の子どもの人生に悪い影響が生じる可能性が高くなると考えられます。なぜなら子どもが無意識のうちに学校に行かないことを選ばされていると言え、本当の意味で自分の人生を決定している経験にはならないからです。

 

 2つ目はメリットやデメリットは結果論に過ぎないことです。学校に行かないことで成功を収めたとき、その間は学校に行かないメリットと学校に行くデメリットを実感し、自分の選択に自信を持つでしょう。

 しかし人生はいくつもの転機に満ちています。学校に通っていた同級生が自分より遥かに凄い成功を収めたと知ったときや、学校の宿泊行事での経験によって自分が欲しいと思っていたものは簡単に享受できたと分かったときなど、

すなわち人生においては学校に行かなかったという過去を後悔する可能性にも満ち溢れていると言えるでしょう。

 このように自分の「現在」によって価値が定義されるメリット・デメリットを見据えて決める自分の「未来」は非常に不安定な価値を持つ偶像であると考えられます。

 

 5.何となく、みんな行くから

 

 さて、ここまで様々な理由を挙げてきましたが、この最後の考え方が一番シンプルで、大多数を占めていると私は思います。

 

 ズバリ、学校に行くことに特別な理由はない・持たないという考え方です。

 小・中学校は義務教育ですので行くことが当たり前、高校進学率も2018年の文部科学省の調査で98.8%、ほとんどの子どもが行っていると言えます。

そのため、「何となく、みんな行くから自分も学校に行く」という考え方は不思議ではありません。

 むしろ学校に行くという当たり前に疑問を持つ子どもこそ、その理由や意味を主体的に模索しようとすることで悩み、学校に行けなくなってしまうと私は思います。

 

 私はこの状態に対してとても興味深く考えています。というのも、特別な理由なく物事を継続することは難しいと考えるからです。

 私たちの日常生活を回顧したとき、自分が特別好きなことではない物事を継続して活動するために何かしらの理由をつけて自分を鼓舞したり納得させたりするはずです。

 例えば運動が特別好きではない人がダイエットしなければならなくなったとします。その場合、継続的な運動を行うことが求められます。多くの人は、そのような状況において「運動は自分の健康のためになっている」「ダイエットに成功すれば恋人ができるはずだ」と、様々な理由付けをすると考えます。そして運動を求められる期間が長くなればなるほど、尚更始める理由がなければやる気にならないはずです。

 

 そう考えるならば小学校から高校まで12年間、特別好きなわけでなければ理由なく学校に通い続けることは不思議ではありませんが、非常に不可解で難しいことではないでしょうか。また同時に理由の有無に関わらず学校へ行けないことに苦悩することも不思議ではないと言えます。

 

(参考

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/09/27/1299178_01.pdf )

 

 おわりに

 

 予定外ではありましたが2回にわたり、「何故学校にいくのか?」ということの考察を論じてきました。

 おわりにということで、私の学校に行くことへの展望を少しだけ書きます。

 私はやはり5.の何となく学校へ行っているという子どもの目がギラつくような、学校が楽しくて仕方がなくなるような活動を実践していきたいです。

 例えば子どもが自分で目的・目標を決めてイベントや地域に出向く活動、将来の理想の自分像をたててそのために学校生活の間に達成することを計画する活動、子どもの居場所になるような学級作りを考えています。

 時期や校種はまだ未定ですがいずれどこかのソーシャルメディアで発表したいです!

 

 前回に引き続き、質問疑問異議反論等、コメントお待ちしております!

 

 

教育を俯瞰する その1 -学校に行く意味 part1

 こんにちは。ふじもnです。

 今回はゆくゆくnoteの方で手掛けていきたい連載記事の練習も兼ねての投稿です。

 ちなみに連載したい内容はもう決めていて、教育全般に関する知識や意見、実践をまとめていきたいと考えています。

 理由は簡単。(理由の背景はまた書くつもりです)

 私の人生で1番全力を注ぎたいと思ったことが教育だからです。

 

 さて、記念すべき最初のテーマは

なぜ学校に行かなければならないか、です。

 

 学校で習う教科(算数、国語など)を学校以外で学習する手段は従来から様々なものが開発されています。例えば進研ゼミやスタディサプリのような通信教育、塾通いなどが挙げられます。

 またそれらに加えて5Gサービスの開始によって情報通信技術のリアルタイム性が上がり、VR•ARが広がれば、自宅にいながら個人で学習を進めていくことも十分可能になると思います。

 現に中国では、新型コロナウイルス対策としてリモートワークで様々な教育資源を無料で利用できるようになっています。

 

参考↓

コロナ拡散を防げ(2):中国で5,000万人の生徒が「DingTalk(釘釘)」のオンラインクラスを利用 – BRIDGE(ブリッジ)

 

となれば、学校で扱う教科の内容を勉強するために学校へ行くという意味は薄れてくると言えます。(勿論、これらのサービスを受ける機会が不平等なことや、個人情報の取り扱いなどの課題もまだまだあり、各個人が万全の体制・状況でリモート学習を進めることができるようになるのはもう少し先の話だと思います。)

 

 では改めて、私たちは何故、学校へ行くのでしょうか?

 この問いに対して今回は2月に参加した教育系のイベントでの学びを参考に、いくつか応答していきます。

 なお、書こうとしていた内容が下書きを終えた段階で1万字を超えてしまいました!!笑笑

そのため、この学校へ行く意味への応答はシリーズ化して、何回かに分けて書いていきたいと思います。笑

 

 私たちは何故、学校へ行くのか?

 

  1. 学校に行く目的があるから
  2. 生活に関わることを学ぶため

 

 1.学校に行く目的があるから

 

 これは大学や、専門学科のある高校を例に出せば分かりやすいですね。

自分が好きな教科や学問の分野をもっと詳しく学びたい・研究したいから、将来はそれに関わる仕事をしたいから、などですね。

 或いは部活動の強い高校で、全国大会で優勝したいから、プロ選手になりたいから、という目的も十分考えられます。この場合では独学では難しいことを学校へ行くことで自分の目的を達成しています。

 つまり、学校へ行く意味があるわけだから学校へ行く、という考え方です。

 

 2.生活に関わることを学ぶため

 

 これは学校で行われる教育を広く捉えた考え方で、参加したイベントで他の方から聞いた意見です。

 「学校は小さな社会である」と言われるように、学校においては教科の学習以外にも様々なことを勉強する機会になっています。

 例えば人間関係の築き方や、友達との関わり方、行事やクラス内での自分の立ち振る舞い方や、与えられた役割を果たすこと、などが挙げられます。

また、毎日同じ時間に学校という同じ場所へ行って同じ時間にご飯を食べ、同じ時間に寝るようにする、という生活習慣の基礎を作るという意味でも学校へ行くことは十分意味があるかもしれません。

 

 一方で上記の学校の意味は時に私たちを苦しめる理由にもなり得ます。すなわち、学校での人間関係の辛さで、学校に行きたくなくなることもあります。 過眠症などで学校へ行きたくても行けないこともあります。

 そのように学校へ行かないことに悩む子どもたちに対して安易に、辛いなら学校へ行かなくてもよい、と言うことは果たして、子どものためになっていると言えるでしょうか?

あくまでその子どもにとって重要なのは、人間関係の課題や、自分の体調との向き合い方を学んで解決していくことであり、学校へ行く意味という問題はまた別なところに据えられていると、私は思います。

 

 今回はここまでです。以下はあとがきに代えて。

 

 私自身、まだまだ学校に行く意味は模索中ですし、人生全てを懸けて問い続けたい問題でもあります。

 言うなれば、私の人生の主発問の一つです。

 

 そのため、今はこの問いの色々な方の意見を聞きたいです。今回の内容でご質問やご意見、ご批評等あれば是非、コメントに書いていただけると非常に嬉しいです!笑

 何卒ご検討よろしくお願いいたします!!

 

 また近いうちに、学校に行く意味 part2を公開しようと思います。乞うご期待。

翼を授ける日本酒5選

こんにちは。ふじもnです。

 

先日、Twitterで海外のお姉さんが日本酒を飲んだ様子がバズっていました。内容を簡単に要約すると

 

日本酒は体にすっと入る感じ、翼が生えたような気分にさせてくれる。

 

  つまり、日本酒は翼を授けてくれる(飛躍)

 

全面同意です。

私が日本酒にハマった理由そのものです。笑

 

ということで、このバズりにあやかって今回は

私が飲み比べてきたものの中で、

翼を授けてくれた日本酒5選

を紹介します。

 

翼を授ける日本酒5選

  1. 獺祭 純米大吟醸 磨き三割九分
  2. 大七酒造 純米生酛(きもと)
  3. 春鹿 しろみき
  4. 越後で候 青越後
  5. 君が袖振る 流氷浪漫

 

 

 言わずと知れた人気の日本酒です。贅沢ではありますが私はこちらを基準に日本酒を飲み比べています。

 精米歩合が色々ある獺祭ですが、個人的には精米歩合39%のこちらをオススメします。

 程よい米の甘味と、体にすっと入る水のようなクリア感のバランスが良く、自分へのご褒美酒として最適な味です。

 

 余談ですが、こちらは私の成人祝いに祖父が買ってくれて最初で最後のサシ飲みをした日本酒です。

その時はまだお酒の知識がなくて、さらにこのときに初めて日本酒を飲んだので、有り難みや特別感は全く分かっていませんでした。

 その後祖父が亡くなってから精米歩合39%の日本酒とは品評会に出ているレベルの高級なお酒だと知り、もっと大きくリアクションしてあげればよかったなと少し後悔しています……。笑

 

 

 

  • 大七酒造 純米生酛(きもと)

 

 こちらも割と有名な日本酒ですね。たくさんのコンテストやランキングで名前の挙がるお酒です。

 一口目の切れ味から口に広がる豊かな旨味と酸味、コクの深いお酒ながらスッキリとした後味を両立していて、

これぞまさに王道の日本酒!!

という味わいです。

 

 さらにこの日本酒の強みはなんと言っても燗をしたときの変わりよう!

 個人的には人肌ほどのぬる燗がベストです。

炊きたてのご飯を口に頬張ってゆっくり噛みしめたときのような旨味とコクが広がり、これ以上ない幸福感が味わえます。

 

 

 

 

 こちらはにごり酒で、上記2つとは少しテイストが違います。味的には洋酒に似たフルーティーで甘い日本酒です。瓶内で進んだ発酵の結果にできる自然な炭酸が後味をさっぱりと締めてくれます。

 そのためこの日本酒は、ザッハトルテやチーズケーキのような、味の濃い洋菓子と相性が良いです。一緒にいただくと非常にリッチな気分になります。

 

 日本酒にスイーツの組み合わせは驚かれると思いますが、意外や意外。特にチーズやチョコレートと日本酒は発酵食品同士なのでオススメのマリアージュです!

 

参考:

春鹿 しろみき 純米大吟醸 活性にごり 生酒 春鹿 今西清兵衛商店]

 

  • 越後で候 青ラベル

 

 うってかわって、こちらは淡麗で辛口なお酒です。

ガツンとくる一口目、後から広がる米の滑らかな甘味、そして爽快な後味……

冷やして飲むと味のキレが増して、何杯でも飲みたくなっちゃいます!

 ちなみにこちらは冬限定のお酒です。旬のお魚の刺身や鱈の寄せ鍋と一緒にいただくと最高に乙なディナーを自宅で味わえます。笑

(ただしアルコール度数は高めなので飲み過ぎにはご注意ください!)

 

 

 



  • 君の袖振る 流氷浪漫

 

 最後は私が北海道に旅行して1番美味しいと思った地酒です。昭和4〜57年まで製造されていて、今はもう廃業してしまった酒蔵で作られた網走の地酒。

 その仕込み水を新十津川町の金滴酒造まで送って復活させたのがこちらの日本酒です。

 

 日本酒が好きな方なら常温、もしくは冷やして飲むと美味しく感じられると思います。日本酒特有の一口目の辛さからスーッと体に溶けていく感覚が心地よく、喉を通った後の余韻も非常に淡麗で何杯でもおかわりしてしまうような癖になる味わいです。

 

 人肌ほどのぬる燗にすると味がまろやかになってお米の持つコクがより感じられます。またこだわりの仕込み水を使っていることもあり、雑味が非常に少なく、燗をするとより雑味のないあっさりとした後味になります。

 そのため味の濃い食べものと飲むときや、日本酒を初めて嗜む方にはぬる燗の方がおすすめです。

 

(通販はされていないので、網走に行った折に是非お求め下さい!)

 

f:id:Nickmane:20200218174655j:image

 

 以上、私が選ぶ翼を授ける日本酒5選でした!

いかがでしたでしょうか?また長くなってしまったな。笑

 

 あとがきに代えてというか、少し個人的な話を。

 私の趣味の一環として日本酒を嗜み始めて早2年、とりあえずメジャーな日本酒は一周したかなという感じです。

 ただ、5つ目の流氷浪漫のようにその地域に行かないと飲めない日本酒があったり、同じ日本酒でも温度や一緒に食べるご飯で味わいが違ったりして、本当に日本酒って面白いなあ、飽きないなあと思うばかりです。

 

もっともっとたくさんの酒蔵や地域を巡って、

もっともっとたくさんの日本酒を飲みたいな!!

 

多趣味は無趣味?

はじめまして。ふじもnです。

初ブログはタイトルの「多趣味は無趣味」というネットサーフィンの中で気になった言葉についてアレコレ書きます。

 

まずは簡単に自己紹介ブログでも、と思いましたがそこはプロフィールを見ていただくとして。笑

(URL: https://profile.hatena.ne.jp/Nickmane/?location=https%3A%2F%2Fprofile.hatena.ne.jp%2FNickmane%2Fprofile )

 

結論から言えば多趣味と無趣味は違うと思います。

 

プロフィールから分かる通り、私は自他共に認める多趣味な人間です。

読書、旅行、ゲーム、音楽……自己紹介で趣味を聞かれると非常に困ります。だからハッキリと自分の趣味に自信が持てていて他の人にオススメしている方を見るとすげぇなあなんて羨ましがっていました。笑

一方私はどうするかというと、相手を見て話す趣味を変えるという。

例えば、目上の方や学校の先生には読書や美術鑑賞、

初めて会う人が多い飲み会では旅行か、日本酒の飲み比べ、

同い年・年下が多い場では音楽やゲーム……

その後仲良くなった方とは色々話すうちに共通の趣味が判明するのでそれで盛り上がったり、自分が知らない世界の趣味をお持ちの方には色々教えてもらって自分もその趣味についていくという感じです。

 

しかしながらこれは、相手が自分の趣味を開示してくれて初めて成り立つ話であって、

 

実は私固有の趣味なんてないんじゃないか?

私は実は自分の好きな趣味を持たない、

無趣味な人間なんじゃないか?

という疑念が生じたワケです。

 

とは言え私から発信できる趣味がないというワケでもないです。

その時の会話のノリでオススメの本を語ることもできますし、

好きなミュージシャンを推すこともあります。

旅行の思い出話や好きな日本酒の味を話して人に勧めることもできます。

 

ということは、自分が好きな趣味がない、つまり無趣味であるとは言えないワケです。

ゆえに多趣味と無趣味は違う状態なんだと思うんです。

イチ押しの趣味がない……

でも趣味がないワケではない……

そんな堂々巡りを日々繰り返しつつ、

自分の趣味って一体何なんだよと思いつつ、

今日も趣味のはしごを繰り返して生きています。笑

 

初ブログにして禅問答みたいな、よく分からない内容になってしまいました。笑

 

これから徐々にブログの練習を重ねて、

分かりやすくて面白い、尖った内容を書けるブロガーを目指していきます。笑

 

次はもっと面白さ全開の趣味ブログにするぞー!笑