親もただの人間だ。偶然会ったただの他人だ。

こんにちは。ふじもnです。

 

 今回は少しセンセーショナルなタイトルですね。笑

 

 突然ですが、皆さんにとって親とはどんな存在でしょう?

--相談相手、大切な人、嫌いな人、関わりたくない人……色々な所感をお持ちかと思います。

 

 では私は親をどう捉えているか?

結論から言えば「偶然巡り合ったただの人間」です。我ながら超ドライだと思いますし、この捉え方は勿論、賛否両論あると思います。

 

今回はそう思うようになった背景を書いていきます。というのもここ最近、自分の親に対してモヤっとすることが続き、以下について客観的な意見や感想を仰ぎたくなったからです。

 

 1.0〜7歳まで

 正直あまり覚えていないのですが、両親が残してくれていたビデオを見るととても可愛がられていましたね。特に祖父母にとって初孫だったので喜びもひとしおだったと思います。オモチャやアニメのビデオをたくさん買ってもらっていました。

 しかし、4歳になって弟が生まれてからは、年上らしさやしっかり者の役割を求められて叱られることが増えました。この辺りはよく覚えていますし、よくあることだと私自身は思います。

 

 2.7歳〜11歳まで

 両親の態度が急変したのは小学校に入学してからでした。

 まず食事のマナーに対する指導が厳しくなりました。箸や食器の持ち方が違ったり、ご飯を口に含みながら喋ったり、ご飯粒1粒でも食器に残っていたりすると無言で叩かれました。

そして出てくるご飯の量が多くて残そうとすると、

「作った人に対して失礼だ!」と、強制的に口の中に運ばれました。ある時、それで気分が悪くなって吐いてしまったこともありましたが、両親は「食べ物がもったいない」と、また私を叱りました。

 

 次に学校に関することでも私はたくさん叱られました。リボン結びの練習や漢字練習の宿題、逆上がりや自転車の練習では失敗すると

「何でこんな簡単なことができないんだ!私だって暇じゃないんだ!」「学校でちゃんと勉強しているのか?酷い出来だ!」「泣いてる暇があったら練習しろ。少し叩かれたくらいで泣くんじゃない。私が子どものときは普通のことだったぞ!」

などと怒鳴られ、成功したときでも

「遅い!もっと早く・上手くできるように練習するぞ!」「こんなこと、できて当然だからな」

と、褒められることはありませんでした。

 そのため私は出来るだけ親に怒られないように、親が言い出す前に勉強を始めたり、テストで常に満点をとったりしていました。その結果、成績は優秀で5年生のときにはオール「よくできる」だったのですがその時も褒められず、「だから何?私たちにどうしてほしいの?」と両親に言われてしまいました。普段からオモチャや欲しい物は誕生日とクリスマス以外ではおねだりをしても買ってもらえなかったため、無言で立ち去りました。悔しくて腹立たしくてずっと親に隠れて泣いていたことをよく覚えています。

 そして子どもながら1番疑問に感じていた両親の挙動が体調が悪くなると怒られるというものです。当時は喘息の持病があった(現在は完治)ために風邪をよく引きました。その度に母は

「また風邪か。医療費が嵩んで仕方ない。病院に行くの嫌だな。」「家にずっと居られてイライラする。風邪をうつされるこっちの身にもなってほしい(実際にうつしたことは稀で、母は元気)。」「私だって暇じゃないんだから咳がひどいくらいで電話してくるな!自分でどうにかできるだろ!大袈裟だな!」などと怒鳴りつけたり、ネチネチと嫌味を言いました。そのように母の怒りを買うのが嫌で次第に体調を崩しても我慢し、限界まで言わないようになりました。しかしその場合には「何でもっと早く言わなかった?!うざいなあ、寝とけよ!」と怒鳴られ、ひどい時は腕を強く引かれてベッドに突き飛ばされました。

 

 その他にも色々ありました。例えば私には4歳下の弟と8歳下の弟がいるのですが、その弟たちが1人で悪さをしたときにも必ず私が怒られました。また学校であった嬉しかったこと、嫌なことを話しても「ふーん?だから何?」と流されたので段々と親のリアクションを期待しなくなりました。そして親の前では明るくて従順な良い子を演じるようになりました。演技を始めた小学4年生頃から今もずっと「死んでしまいたい、消えてしまいたい」と思うようになりました。理由は分かりませんが、それが夜も眠れなくなるほど強く感じるときと、薄っすらと感じるときを繰り返していました。

 

 3.12歳〜18歳まで

 そんな両親の態度は小学6年生のときに再び転機を迎えました。私は当時いじめを受けていました。内容はクラスの一部の女の子から悪口を言われたり、消しカスを投げられたり、バイ菌扱いをされたりしていました。しかし、私は前述のように演技をしていたために誰にも相談できず、毎日死ぬ方法ばかり考えていました。特に理由もなく涙が溢れてくる日もありました。そしてついに教室を掃除しているときに脈絡なく泣き出してしまい、先生にいじめを告白し、程なく親に伝わりました。

 その時、初めて親が私のために本気で怒ってくれました。いじめた相手とその親と私と私の父とで話をして、私が辛かったことやいじめは絶対にダメだということを相手に強く叱ってくれました。そして母は私を優しく抱きしめてくれてご馳走を作ってくれたり一緒に遊んでくれたりしました。親や先生に心配をかけたくなくて学校には通い続けていましたが、その心地よさが忘れられなくて学校をズル休みしたいほど嬉しかったです。

 しかし小学校の卒業式を終えた折に再び事件が起きます。ある日私が1年間辛かったけど無事に中学生になれて良かったと母に話すと、「あんなのはまだマシな方だ。世の中にはもっとキツいいじめをされている人もいるし、私が子どもの頃は暴力だって普通だった。あなたのはいじめというか、まだ嫌がらせレベルでしょ。大袈裟だなあ。」と言われました。私はどちらが本当の母親の顔なのか、分からなくなりました。絶句しました。また、父にも同様の話をすると「中学生になったらもっと大変なことだらけだぞ。」と釘を刺されました。私は再び両親に心を閉ざしました。

 

 中学生になると母は一切殴らなくなりました。その代わりに家でたくさんのルールを作って私を管理するようになりました。例えばゲームは1日1時間、21時以降はテレビ禁止、定期テスト1週間前からテレビもゲームも取り上げ、パソコンは一切触れてはいけない、などです。クラスの女の子たちは深夜バラエティや深夜アニメの話で盛り上がったり、ボカロやPCゲームの話をしていましたが私はついていけず、同級生の楽しそうな雰囲気を感じて想像しながら話を聞いて楽しそうにしていました。親を恨むと同時に親に逆らえない自分が大嫌いでした。育ててもらった親を嫌っている自分、友だちに上辺な対応をしている自分、この頃から自分の全てが許せなくて大嫌いになりました。ちなみに内容は変わりましたが、今も私は自分のことが好きではありません。

 親が私を褒めないことと、体調を崩すと不機嫌になることは変わりませんでした。定期テストで100点を取ったときも、国語・数学・理科・社会・英語の5教科で合計498点を取ったときもその点数の継続を求められただけでした。そして地元では有名な高校に合格したときも高校で落ちこぼれないようにと警告されただけで、お祝いは祖父母がしてくれました。

 

 高校生になると、部活などで忙しくて家にいる時間が減りました。そして両親は次第に私に対して何も言わなくなりました。褒めることも叱ることもなくなり、話には相槌か、「私だったら〜」「私の頃は〜」から始まる母の昔話・自慢話で答えてくるようになりました。個人的にはその話が大嫌いでした。理由は大体その類の話のオチが「〜だからあなたはネガティブなのよ。私にはあなたが考えてることがよく分からない云々」と私を揶揄するような嫌味で終わるためです。

 

 そして両親の言動で不信感を持つようになりました。弟たちに対しては特にルールもなく、幼い頃から暴力を振るうこともなく、誕生日以外の日にもオモチャを買い与えていました。そのため、弟たちは21時以降にゲームを始めて0時過ぎに寝ることもありましたが親は容認していました。宿題を親に言われるまでしなかったり、適当にこなしていても叱りませんでした。むしろ「初めて習うのだからできなくても仕方ない」と励ましたり、何度も丁寧に教えたりしていました。また4歳下の弟は私よりも体が弱かったのですがその度に病院に連れて行ったり、つきっきりで看病したりしていました。とにかく母は弟に怒鳴ったり叱ったりする機会が少なかったです。

 極め付けは弟たちに毎月お小遣いをあげ始めたことです。私は小学校4年生から高校を卒業するまでの間に不定期で500円もらっていました。これは初め、2か月に500円の約束だったのですが私が催促すると

守銭奴め!!お金に余裕ができたら払うつもりだったのに!うるさいなあ!」と怒鳴られました。そして何も言わずに待っていましたが、徐々にお小遣いをもらえる頻度は減っていきました。半年に500円、1年で500円……ついには中学1年生でもらったのを最後に高校1年になるまでもらえなくなりました。その後も催促をしては色々な理由(定期テスト前にお小遣いを使う機会はないからなど)をつけて断られたり、怒鳴られたりしました。そして次にもらえたのは高校3年の冬、最後のお小遣いだと言われました。それからすぐに高校を卒業してアルバイトを始め、それを報告した途端に「自分で稼げる人にお小遣いは必要がない」と言われ、お小遣い制度を打ち切られました。

 一方、4歳下の弟も小学校4年生から2か月500円のお小遣いをもらい始めました。しかし、彼が中学生になったタイミングで毎月1000円に値上げをし、父の給料日と同時に財布に入れるルーティーンになりました。そして彼が高校生になると毎月1500円に上がり、弟がお小遣いを催促すると母は支払いが遅れたことを謝罪してその日のうちに財布に入れていました。また、大学受験が終わって弟がアルバイトをするようになってもしばらくの間は「収入が少ないから仕方ない」と言って、お小遣いをあげていました。

 8歳下の弟にいたっては兄弟を平等に扱うという主張のもと、小学校3年生から毎月500円、中学生になると毎月1000円、高校生では毎月1500円の約束を取り交わしてお小遣いをもらうようになりました。8歳下の弟の場合、私がみている限りでは今のところ、一度も支払いが遅れたことはありません。

 

 高校生の私はそれらのことに怒りと疑問を覚えて親に尋ねました。するとこのような返事が返ってきました。

「時代が違えば育て方も違うし、あなたと弟のキャラクターが違うのだから当然だ。別に愛情に優劣をつけたつもりはないし、あなたの育て方は初めての子どもだったから確かに厳しかったけど、別に間違ったことはしてないと思うし、そんなに酷い育て方はしていない。世の中にはもっと自分勝手に世話する親もいる。この気持ちはあなたは親になったことがないから分からないだろうな。」

 親が言っていることは確かに間違ってはいないと私は思いました。自分が親になれば分かるかもしれないと思いました。しかし、その理屈は今も納得できていません。親への不信感は募るばかりでした。

 

 その後、私が軽い鬱になって自殺を考えるようになりました(詳細はまたいつか)。その時の両親の対応で、今の私の両親の捉え方が確立しました。

 母は私が憂鬱な感情を吐き出したり、自殺しようとするたびに私を殴りました。「殴っている私の手も痛いのだ!そんなに死にたいなら死ねばいい」と怒鳴り、私をベランダの近くまで突き飛ばしました。そしてその後は私を椅子に座らせて3〜5時間ほど説教をしました。内容は頭がうつろになっていたのでほとんど覚えていませんが、「自分の子どもに死にたいと言われた親の気持ちも分からないのか。」「私だったらそんなに考えこまないからあなたの悩みは分からない」「私も自分のことを悩む時があった。自分だけ辛いとか傲慢だ。何様のつもりだ。」「心配してくれている先生や友人に失礼だ。これ以上恥を重ねる気か。」「今まで頑張ってきたのに急に頑張れなくなることなんてない。甘えだ。鬱陶しい。」と怒鳴られました。その結果私の顔に傷ができたり、親が誤解して説教されたりもしました。私はそれを強く訴えましたが「成長のしるしだ。良かったじゃないか。」と言われました。

 そこから私は気づきました。親は私に対して絶対に謝りません。例えば弟が悪さをしたことを誤魔化して私に罪を被せたときもあり、誤解だと分かった後も私に謝罪をすることはありませんでした。自分の過ちを認めたくないのだと考えました。

 そして私は「親も偶然巡り合ったただの人間だ」という仮説を立てました。すると全てに納得がいきました。私を褒めないのはきっとその結果に嫉妬していて、失敗に対して強く叱るのは自分の時間や手間を取られるため、謝らないのは自分が恥ずかしいからと、自分が絶対に正しいと思っているからなどなど、周りにいるあまり好きではない大人の態度や振る舞いと同じであることに気づきました。弟に対して叱らないのも、弟の方が私よりも親に似ている部分が多いためだと思いました。例えば物事をはっきり言ったり、楽観的だったり、顔が祖父母に似ていたりするところです。

 その結果私は親に対して無関心・無感情になりました。親が何を言っても何をしてきても何も感じなくなりました。怒りや悲しみはおろか、尊敬や称賛も感じなくなりました。

 

 4.19歳〜現在

 大学生になると私は出来る限り家にいることを避けました。一人暮らしは資金的に困難だったことと親の猛反対もあって出来なかったためです。

 この頃から親は私を叱る代わりに嫌味や皮肉を多用するようになりました。例えば私がお菓子を食べていると父は「お前、また太ったな。なのにまだ食べるのか。お腹にぜい肉がたっぷり詰まってるな。」と言いました。また、部屋で1日読書をしたりスマホアプリで勉強したりしていると、私が何をしているかの確認もせずに「お前、今日一日なんの生産性もない生活だったな。」と言われました。一方母は私が何日も家を空けると「体調を壊しても面倒見ないぞ。」「あなたはいつも事後報告だ。なぜ私に相談してこない?」と言い、私が何かを相談すると「私は大学に行ってないから分からない・知らない。」「あなたが何を考えてるか分からない」「だから何だ?私にどうしてほしいのか分からない」と言いました。

私はそのようなデリカシーのない父親の言動や、母親のダブルスタンダード的な言動に、一時的に腹は立ちますが、特に仕返しをすることもなく、親のアドバイス通りに対応することもしませんでした。そして私は社会人になって生活が安定した暁には、親と縁を切ることを決意しました。具体的に言えば、電話番号などを全て変えて一人暮らしを始めた先も伝えず、親と音信不通にします。なぜなら親はSNSもブログも極度に嫌っているため一切見ないですし、LINEもしておらず、スマホやパソコンの使い方を私が教えているくらいの機械音痴・テクノロジー嫌いですので、追跡の心配もないと考えたためです。また親は私の子どもの顔を見ることを望んでいますが、それが叶う見込みは薄い(これもまたいつか)ですし、親の介護をすることを私は拒否したいためです。何かあれば弟がやってくれるでしょうし、親を介護をすることは自分が実子だからといって義務や使命であるとは言えないと思います。これは私に限った話ではなく、親子の形や親孝行をする・しないの話は人それぞれでいいと私は思っています。

 

 そのために私は今一生懸命稼いで、親が知らない・分からないような勉強をたくさんして家を出る準備をしています。勿論このことは親に何も話していません。このように自然とフェードアウトしていくのは仲の良くない他人へするものと同じです。

(今まで親以外の人に対して実行したことは一度もないですが。笑笑)

 

  親からこれまでの誤解や暴力を振るったこと、嫌味や皮肉を飛ばしてきたことへ謝罪がない以上はこの計画でいくつもりです。

 

 長々とした身内への宣戦布告ブログに付き合っていただきありがとうございました。笑笑

 何かご意見等がありましたらコメントいただけると幸いです!

 次はもっと明るい話を書きます。笑笑

 

追記:上手くいくかどうかは分かりませんが、まず音信不通計画の第一歩として世帯分離をする予定です。上手くできたらやり方を紹介してみようかな。